昔話

2015年12月31日 (木)

山岡家 辛味噌葱ラーメン,激辛,葱増し,黒薔薇海苔,脂少なめ ¥1,100

年越しソバ。

Karamiso

いやー昨日の中学校同窓忘年会は飲んだ。 ちょっとお腹の調子が悪かったので,ビールにせず,芋焼酎をチビチビ飲んでたら,白州 を持ってきたヤツがいて ...

ここ 2年ほど,弱くなったのを認識していて,外ではビールしか飲まないでいたが,白州はうまい。crying 世界的評価が高い 「響」 もそうだし,サントリーが美味しいウィスキーを作れるようになるとは思わなかった。 オールドなんて,ひどかったもんね。sweat01

4時に始めて(早すぎるぞー)11時半まで飲んでた。 最後の方で女性が何人か来て,小中学校を通じて何回か同じクラスだった Kさんから 「ま〜く君は,ひとりでふわーんと雲の上に乗ってるようなコだった」と言われた。

たしかに,いつも図書室で空想に浸っていて,競争には興味が無かった。

お前は,ちゃんと勉強すれば一番になれるんたぞ,と先生に言われたこともある。 でも,理科,国語,音楽はちゃんと勉強したけど。(興味があったから。)

父親が本物のアル中で,生活保護を受けてたので,中卒で定時制高校の電気科に入ったけど,ノーベル賞の大村さんが言っていたような,勤勉な学生は時代的にもういなくて,落ちこぼればかりで,超低レベルだった。

高校では何も教えて貰えなかったけど,その後会社で光学研究室を作る時「あいつ使えるかもしんない」と言うことで入れて貰えて,デジタル回路,アナログ回路,ソフトウェアとめちゃくちゃ本を買って勉強した。 休みは,ほとんど秋葉原の部品屋にいた。 会社も回路を組んでPCと接続して,実験するのを許してくれた。 これが技術屋としてのわたしのベースになった。

あ,年末なのにとりとめの無いことを書いてしまった。 まだ酔ってるのかもしんない。 cat

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年5月12日 (月)

理研と早稲田が絶対的に悪い

このブログには,時事的なことは基本的に書かないが, S細胞の Oさんの実験ノートが 「中学生の日記かポエムのようだ」 と書いてある記事を読んで,非常に腹が立った。

早稲田大学は修士・博士課程で,実験ノートの書き方・重要性を教えなかったのか。
→ それで,なぜ博士号を与えた。

理研は実験ノートも書けない博士を,なぜユニットリーダーにしたのか。
→ Natureに載せた論文は,理研内を一度通ったはずだ。(目を通したはずだ。)
→ 論文に決定的なが過ちがあるなら,下っ端一人ではなく,理研という組織にも責任がある。

正論だとわたしは思うが,如何でしょうか。

chick

昔,和光市の理研にはよく行った。 優秀な研究者もたくさんいた。 ただ,独裁的な室長もいて,その下の研究者や学生は,室長の意に沿わない研究については口にも出せない,風通しの悪い研究室も見たことがある。

cat

だいたい,論文なんていい加減なものだ。 もうとっくに時効だから書いてしまうが,わたしは T大学医学部のH先生のために実験をし,論文を書いたことがある。 しかし,H先生がこの内容では学会で質問されたら答えられないと言って,学会発表までやらされた。

「つぎはま〜く先生のご発表です」というアナウンスが流れた時には,先生と呼ばれるようになると感覚がおかしくなるんだろうなと思った。(講義中の先生は別。)

生体の変位(動き)を特殊な光学的方法で 3次元的に測定した内容で,対象が生体なだけで,実験は外科医にできる種類のモノではなく,また質問されて回答できるようなものでもなかったのは確かだけれど。

論文は新奇性があればよく,これは新しい試みであったから,H先生の論文の一本として認められたはずだ。 最後に H先生に会った時は,有名大学病院の外科部長になっていた。 親分のように,後ろに若い医者をぞろぞろ連れて歩いていたっけ。

pig

どちらにしろ,理研がOさんだけに責任を押しつけて逃げ切ることは不可能だろう。
マスコミが叩かなくてはいけないのは「理研」だ!

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2012年9月14日 (金)

山歩き すべてはここから始まった

ま〜くは運動する子ではなかった。 図書室で本を読んで過ごすのが一番好きだった。

19か20才の時,秩父の熊倉山に連れて行ってもらう機会があった。 その頃は,今は廃道の七ツ滝コースがあり,きれいな沢を繰り返し渡って行った。  小さな滝は青と緑を透明にした色をしていた。 美しいと思った。

白久(しろく)駅前の店で,ビールをガブガブ飲み,白菜漬け(タダ)をバクバク食べてたら,山ほどおかわりをくれて,そのあと食べたラーメンがものすごく美味しかったことをまだ覚えている。

しかし,運動したことの無い人間に熊倉山はきつすぎる。 5月の連休だったので,筋肉痛で寝て過ごした。(本当。)

そのあと,ひとりで出かけてみようと思った。 本屋で偶然手に取ったのがこの本だった。

914gd1 この本を選んだ特別な理由は無い

914gd2

情報が古くなり,ガイドブックとしても古本としても価値は無いと思うので,一部を掲載させてください。 → 出版社殿。

914gd3 ヒルのいなかった頃の吾妻耶山

この本に書いてある通り,夜行列車で行って朝歩き始めた。 途中道が判らなくて,犬を連れたお婆ちゃんに聞いた記憶がある。
夜行でなくても十分間に合うことが判ったので,その後は日帰りで行ったけど。 この仏岩コースというのも今は無い。(ものすごく短いコースは残っている。)

914gd4 ま〜くによる意味不明な注意書き

気に入って繰り返し登った。 下りて来たら,工事のおじちゃんが おいでおいで するので行ってみると,掘り出したヤマユリの球根をもらったこともある。
その球根は翌年,家の鉢で大きく育ったが,あまりに強い香りに参った。 ヤマユリは山の中で咲いていても,遠くから香るものだ。

914gd5 戸隠山

こんな家族向けの表紙を付けておいて,戸隠は無いだろう,と今なら思う。 夏休みの信州旅行を計画して,その途中で登った。 物凄く怖かった。 それでも2年続けて登った。
この頃は地図も持たず,この本だけで登っていたように思う。 だから,こんなにボロボロになったのだろう。

ま〜くの山歩きは,この本から始まったらしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 6日 (金)

盆栽だー!!

誰だ,こんなことを考えついたヤツは。punch そして,これが盆栽の振興に結びつくとは思えないのだが...
Boncider 味はふつうのあっさりサイダー
15年以上前のこと,ブラジル大学の教授が奥様を連れてやって来て,そのお相手をすることになった。 実験などお見せした後に,何かリクエストは無いか聞くと,教授がおずおずと話し始めた。
「日本へ来てから,誰に聞いても盆栽について全く知らない。 盆栽を見られる場所は無いだろうか。」
「世界の盆栽のメッカ,盆栽町はこの会社のすぐ近くです。 見に行きましょう。」
教授が狂喜したのは言うまでも無い。 非常に熱心に一鉢ずつ見ていた。 そしたら,盆栽の棚の下から猫が一匹逃げて行って,奥様に「日本の猫は尻尾が短いのか?」というような難しい質問をされたが,知らないので答えようがなかった。その頃,猫の友達はいなかったので。
ど〜にゃの? > あにゃこさん。 cat

| | コメント (0) | トラックバック (0)